三菱の記事2016.12.16
岩崎弥太郎に生き方を学ぶ
三菱UFJ銀行、三菱地所、三菱商事など、「三菱」の祖の生き方
2016.12.16 文章 / PARAFT編集部
三菱を起こしたのは、土佐藩出身の岩崎弥太郎
三菱を起こした人物は、岩崎弥太郎。坂本龍馬の伝記にはつきものの人物なので、ご存じの方も多いかもしれません。生まれは坂本龍馬と同じ土佐(現在の高知県)で、位の低い地下浪人でした。投獄された経歴を持ち、獄中で商人から算術などを習ったことが、後に商売を始めるきっかけになったといわれています。その後、土佐藩のスタッフとして長崎で欧米の商人と取引をするようになります。
明治に入り、弥太郎は土佐藩が立ち上げた九十九商会の経営者に。三菱商会、三菱蒸汽船会社と社名を変更し、運輸業を推し進めます。
国家予算並みの資産を築く第一歩は、思い切った経営手腕による賜物
大局を見て、リスクを取ってでも先手を打るという思い切った経営手腕による功績といえるでしょう。
ちなみに、弥太郎亡き後も得意の海運業を軸に、造船の三菱重工業、三菱製紙、三菱商事、三菱銀行、三菱電機など次々と事業を展開していきます。戦後、連合国の財閥解体政策によって、三菱本社と三菱商事は解散に追い込まれたとはいえ、当時の総資産は国家予算並みともいわれ今なお巨大な組織としてグローバルに事業を展開しています。
強いリーダーシップを発揮した影にあった母との絆
三菱グループのホームページによると、離れて暮らす母親に毎日手紙をしたためた時期もあるほど、母と強い絆で結ばれていたようです。母の残した岩崎家の家訓を見ると、その理由が分かるように思います。
▼岩崎家の家訓
一、人は天の道にそむかないこと。
二、子に苦労をかけないこと。
三、他人の中傷で心を動かさないこと。
四、一家を大切に守ること。
五、無病の時に油断しないこと。
六、貧しい時のことを忘れないこと。
七、常に忍耐の心を失わないこと。
時代を超えてよりどころとなる家訓を言葉に残し、折に触れて教育した母親の姿が想像できます。弥太郎もまた、大きな決断をするときや生き方・働き方を考えるうえで、母が示したこの指針を大いに参考にしたことでしょう。

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岩崎弥太郎に生き方を学ぶ
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岩崎弥太郎に生き方を学ぶ
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編集部チーム
PARAFT編集部
生き方や働き方を考えるうえで、指針となるものを提供してくれるのは、きっと親だけではなく友人や本など身近なところにもあるはずです。岩崎家の家訓もそのひとつ。進路や決断に迷ったときにはぜひ思い出してみてくださいね。